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安納芋について

安納芋は種子島以外の地域でも栽培されていますが、鹿児島県、その中でも西之表市、中種子町、南種子町の3市町と農協、生産者が一体となって、安納芋をより美味しく召し上がっていただけるよう品質向上を目指しています。

以前の安納芋は品質や味にばらつきがありました。そこで、安納芋のブランド化を目指して平成22年に安納いもブランド推進本部が設立され、基準を満たした芋が「安納いも」というブランドとして認められています。こうした取り組みのおかげで質の高い安納芋の栽培・提供が可能になりました。当農園も安納いもブランド推進本部に加入し、栽培技術や品質向上を目指して栽培をしています。そして認定を受けたお芋だけを自信を持ってお届けしています。

種さんの栽培方法は苗の選別から始まります。良質な苗を選別する作業を何度か繰り返し、ウイルスに感染していないバイオ苗のみを栽培しています。そして、栄養豊富な土壌はフカフカになるまで天地返しを繰り返し、まさに、フトンのような畑に「安納いも」を作っています。
掘りたての安納芋は簡単に皮が剥けるので、箱詰めまでの作業は気を抜かず丁寧に行います。
そして、収穫してから3週間ほど熟成させて出荷します。この熟成期間を経て非常に甘いお芋が完成します。
ぜひお試しください!

「さつまいも」のルーツ

さつまいもは何度か日本へ持ち込まれた歴史があるそうですが、薩摩(鹿児島)に伝わったことがきっかけで日本全土に普及していきました。

歴史は江戸時代の元禄11年(1698年)に遡ります。当時種子島では天候の影響で作物が被害を受け、貧困に悩む人々が大勢いました。ちょうどその頃第19代島主:種子島久基は琉球で栽培されている甘藷のうわさを耳にし、琉球王国王・尚貞(第二尚氏王統11代)に、島民のために甘藷(かんしょ:当時のサツマイモの呼称)を送ってほしいとお願いしました。

琉球国王は快くその願いを聞き入れ、一篭の甘藷を久基のもとへ送り届けてくれました。種子島久基は家老の西村時乗に島の貧しい人々の救済事業として農民を選び甘藷を急ぎ栽培させるようにと命じました。そこで西村時乗は農民の中で最も信頼を置く大瀬休左衛門に甘藷の試植を命じました。

大瀬休左衛門は種いもを土に埋めたり、芋づるを地中にさしてみたりと様々な方法を試みました。その結果、さつまいもの栽培に成功し、種子島では主食作物として多くの人に栽培されるようになりました。その後、薩摩藩を通じて九州に持ち込まれ、8代将軍徳川吉宗の命を受けた青木昆陽がさつまいもの栽培を成功させることにより、日本全土にさつまいもの栽培が普及し、日本人にとって身近な食物になりました。
甘藷が中国から琉球に伝わり、琉球を経て種子島にもたらされたということで、当時中国のことを「唐の国」と呼んでいたことから、現在に至っても甘藷は鹿児島で「からいも」と呼ばれています。

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